安堂ロイドとSF ①

2014年11月11日
一時期あまりにバタバタと忙しかったので(今はすっかり仕事については暇してますが)本当に3日坊主になるかと思われたこの日記ですが、その間、思いもよらぬ騒動で「まとめ」に入っちゃったりもした中で、ずっと書きたい、書きたいと思っていたことはあって…。


Twitterでは断片的につぶやいていたことを、なんとか誕生日前にまとめたかった、「安堂ロイドとSF」のこと。
ちゃんと論理立ててまとめられるか自信はないし、突っ込みどころ満載の文章になるかもだけど。


この騒動中、ロイドファンVS SFファンみたいな構図になっちゃって、「蛮族」扱い(これも言葉のチョイスはかなり問題ありかと)までされたことに、かなり私の中では混乱してた。

そこまで隔たりがあるものかと。確かにSFに全く興味がなかった人たちもロイドにはまったけど、もともと多少なりともSFが好きだった人たちもたくさんロイドファンの中にいるはずだと思ったから。かくいう私もかなり長い年月SFを読んでいなかったけど。

ただ、HEROという万人向けの作品があるのにわざわざ不遇な「安堂ロイド」に400字の推薦文を寄せるような拓哉ファンは普通に本を読むはずだ。私も普段は翻訳ミステリーやホラーを読んでいる。

どうして、蛮族が押し寄せたのではなく、お客様になる一般読者が来た!と受け取ってもらえないのだろうか、とずっと思っていた。
私も安堂ロイドの中にその言葉が出てくるというだけで、虐殺器官を読み、「よかったよー」とつぶやいたことでさらに何人かが読んだはずなのに。


私、いつからSF読まなくなったんだろう。
アトムを見て育ち、星新一の大ファンだった。ブラッドベリ、アシモフ、ディックも読んだ。マンガは萩尾センセの「11人いる!」「銀の三角」「百億の昼と千億の夜」「スターレッド」、竹宮センセの「地球へ…」が大好き。スターウォーズ大好き。2001年などSF映画の名作ほぼ観てて、「ブレードランナー」は好きな映画のベスト5に入る。瀬名秀明さんも実は「パラサイト・イヴ」と「BRAIN VALLEY」(日本SF大賞とってるのね)は読んでる。


で、ずいぶん間隔があいたけど、本当にロイドきっかけで伊藤計劃の「虐殺器官」を読み、今回の流れで「ハーモニー」(やはりSF大賞を獲ってる)も読んだ。


あれれ、私ってSFファン?
こう言ってしまうと、本当のSFマニアの方々からは、「馬鹿か」と思われてしまうのかな。


「虐殺器官」のことは書店で文庫見かけてから2、3年ずーっと気になっていた。なにせミステリーやホラーが好き、シリアルキラー物にハマったこともある私なので、SFらしからぬタイトルに惹かれてしまったのだ。(^_^;)

でも近年のSF全く読んでないしパラパラめくっても用語の難解さで挫折しそうで。
「虐殺器官」をスルーして読みなれたミステリーやホラーに手を伸ばすことが多かった。

それが読了できたのは本当に、ドラマ「安堂ロイド」の中でロイドと麻陽に名づけられる前のアンドロイドARXⅡ-13が「虐殺器官」と呼ばれていた、それだけがきっかけだ。
はたして「虐殺器官」はARXⅡ-13の物語に変換して読書できてしまった。それが正しい読み方なのかどうかは賛否あるだろうけど、立ち止まりそうな難解な用語の箇所が脳内で映像化されて出てきてくれるのはありがたかった。
(ナノセルなどロイドで予習ができていた知識も多かった)


人間でありながら戦闘のために感情や痛みをコントロールされた「虐殺器官」の主人公たちの存在は、私には、自分を戦うための消耗品に例えるロイド=ARXⅡ-13の哀しみと重なって見える。


そして、同じ伊藤計劃の「ハーモニー」も続けて読もうと思っていたのだけど、またきっかけを失っていたところ、この騒動の最中に書店で見かけて勢いで買って、一気に読んでしまった。

実は「ハーモニー」も安堂ロイドとのすごい共通点があるのだ。鈍い私は読み終わるまで気づかなかっのだが、書いたら、これネタバレになるのだろうか。
(末尾にちょこっと書くので、ネタバレいやな人は読まないでね!)

「ハーモニー」では大量虐殺後に構築された無味乾燥な理想社会が描かれており。医療に完全管理された人間はほぼアンドロイドのよう。と書けば、安堂ロイドの中では語られるだけだった、100年後の未来世界が浮かんでくるだろう。とっつきにくいところは全部安堂ロイドが翻訳してくれてしまうのだ。


虐殺器官もハーモニーも来年アニメ映画化されるそうで、すごく楽しみだ。
アニメの「虐殺器官」の予告映像を見ても、ついついARXⅡ-13を重ねて見てしまうのは、安堂ロイドファンの性なので許してほしい(^_^;)


この騒動をきっかけに現役の日本のSF作家さんたちのお名前を知ることができたので、これからも興味を持った作品を敬遠せず読んでいきたいと思っている。
騒動のさなかのSF作家やマニアの理解ある方々、なによりSF大賞公式さんの懐の大きさを示す言葉がすごくうれしかったなあ。
公式さんのような言葉のチョイスができる人が私の理想だ。


確信できるのは、この先優れたSFを読んでいって新たな発見や感動を得こそすれ、「それに比べ安堂ロイドは陳腐だ」なんて絶対感じないということ。それどころか連ドラの限定された世界でよくあの域まで迫ったなあと改めて感慨深い。


日曜9時にお茶の間に届けるという枠での表現の限界もあるし、CG予算を含めた実写の限界がすなわちSF的表現の限界でもある。内容の緻密さや完成度で小説と勝負できるとはさすがに思わない。
だからといって、古臭いとか、SFとして意味がないとは思えない。

たとえば虐殺器官を実写映画化できるだろうか。
あの世界観を日本の映画の予算で陳腐に見えないように表現できるのは、いったい何年後だろうか。
他のSF小説にも当てはめて考えて欲しいと思う。
それを考えると安堂ロイドの挑戦の無謀さと凄まじさ、いかに限界までやりきったかがわかるはずだ。


あ~書き足りないけど、本日はここまでが限界…
生誕祭までにはたして続きが書けるか!?



ロイド見た人だけがわかるネタバレ?







(私には「ハーモニー」はLQの物語に読めました)

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