唯一無二の「キムタク」。多面体が放つ輝き。
2015年5月26日コメント (2)はい、すぐ掲載しましたよ (•́ .̫ •̀∩
さてさて、今回はいわゆる「キムタクドラマ」なるものについて、私の手に余るものかもしれないけど、異論反論があるのを十分承知でちょっとじゃなく、長々と触れてみたい。
でもそれぞれの人の思い入れのあるドラマを私の好き嫌いで判定するつもりは毛頭ありません。
どうして世間にこういう風に言われちゃうのか? ファンの認識とのギャップのところを考察してみました。
さてアイムホームです。
このドラマ、従来のキムタクドラマとはちょっと違う、キムタクの演技も一皮剥けたなどと識者と呼ばれる方々からもよく言われています。
これに対して、彼をずーっと見続けたファンの方々は反感を覚えているのが感じられます。
昔から繊細な演技だった! ここに来て急に上手くなったわけじゃない!
かくいう私もそのひとりですが。
どの作品も、その役そのものを生きているように演じているのに、ろくに見ないで上から目線で叩いてきた人たちがいかに多かったかには、確かに怒りを覚えます。
そう、木村拓哉の演技が変わったんじゃない。
ドラマのテイストが違う。
確かにこのアイムホームは肌触りが今までのドラマとは異質なんです。
(しかし異質といえば、圧倒的にロイドなんですが!(^_^;)
ロイドはSFやアクションに親しみ持てない人たちはほぼ寄りつかなかっただろうから、ひとまず置いておきます)
ふわっとしたドラマとか、ぬめっとしたドラマとか、ゾクゾクしたドラマとか、ドラマの感触ってあると思うんですが、
アイムホームの感触は、なんだろう?ぐにゃ?(^_^;)
ふわっとやさしいドラマに見せる仕掛けもあり、仮面をホラーではなくユーモラスに見せつつも、温かな感触を求めようとすると、ずぶっと腕がはまってしまい、冷や汗をかくという。
こういう感触はこれまで無かったような気がします。
しいて言えばギフトだけど、ギフトはやや硬質、ハードボイルド寄りな風味がありました。
(ああ~でもかっこよかったなあ…)
横道にそれました。
いわゆる「キムタクドラマ」を世の辛口と称する人たちは「キムタクをかっこよく見せるためのドラマ」などといい、ファンはそれに反感を覚えます。
しかし、それを「木村拓哉の魅力を最大限生かしたドラマ」と言い換えたらどうでしょう?
これ実は、表裏一体なんだと思います。
これが樹木希林さんがスマスマでおっしゃっていた「木村さんそのものが魅力的すぎるからPやDは…」のにも通じるものでもあると思います。
しかし拓哉くんが演じてきた役やストーリーは、「木村拓哉のためにお膳立てされたもの」というより、昔から、スターと呼ばれる人たちに用意されてきた、王道のものが多かったと思います。
型破りで愛嬌のある二枚目半、才能があり、ひたむきで正義感の強い熱血漢が努力を重ね、苦難を乗り越えて可能性を示し、人望も得て、恋愛も成就させる。
観る人を必ずハッピーにする、為せば成るといった王道パターン。
私、子どもの頃からたくさん見てきましたよ。
古今東西通じて、もっとも万人に愛されるキャラクターだと思います。
制作者の方々は、久々にスターの輝きを持つ俳優が出てきたと感じたから、さっそく王道路線を当てはめてみたわけです。(ラブジェネあたりが実験段階だったかも…?)
これ、実は、勘違いされていますが、誰しもにハマる役ではありません。
常に魅力的であることを求められるから、どんなにお膳立てをしても、本人に真の求心力がないと、キャラクターとのとギャップが見えて来てしまって、視聴者は冷めてしまうと思います。
そしてそれを演じる俳優さんは、精神的にきついはずです。
笑顔は常に太陽のようでなくてはいけない。
翳りや曇りが透けて見えてはダメなのです。
心からの涙や怒りだと感じられないとお茶の間を感動させられません。
熱演すると、いわゆるクサい演技になりがちなのも、こうしたドラマの難しいところです。
そして木村拓哉は、クサくならずナチュラルにこうした役にするっと入り込みました。
制作者の方々が想像した以上のハマりぶりであり、これぞ木村拓哉の当たり役、こういうドラマでのキムタクはほんとかっこいい!と日本中が思い込んだ。
そしてキムタクってかっこいい役ばかり…とネガティブに変化します。
はたしてそうなのでしょうか?
木村拓哉は本人がかっこいいです。というより、美しいです。
昔から、容姿端麗なビジュアルの俳優さんは、王道路線より、その美貌を生かした敵役やクールでニヒルな陰のある役につくことが多かったように思います。
そちらのほうがいわゆる二枚目路線です。
あまり笑わない、キメキメのすこぶるかっこいい役です。
古畑をやる前の田村正和さんは典型だと思います。
逆に王道路線は、そこまで容姿端麗ではない(失礼!)、でも愛嬌や武骨な大らかさを持つ、華のある俳優さんがやることが多かった。
異論はあるかもだけど具体的にお名前をあげると、リアルタイムで見てたのは中村雅俊さん、もーっとさかのぼると青春モノをやっていた頃の森田健作さん、もちろん見てないですけど、イメージから、映画の石原裕次郎さんあたりでしょうか。
小机部長役の西田敏行さんも主役のドラマや映画では王道路線であったと思います。
王道路線をやるにあたり、拓哉くんは、どちらかというと自身本来のかっこよさは封印していると思います。
ストレートな喜怒哀楽を前面に出した明るい役は、どちらかというと、かっこよさよりも親しみやすさを感じさせます。
でも「キムタク親しみやすくて魅力的!」より「キムタクかっこいい!」が言いやすいし、まあだいたい綺麗な女優さんと上手くいくパターンが多いから、かっこいい役ばっかりだと思われているのでしょう。
そして大事なのは、日本のテレビドラマでここまで王道パターンのドラマを何本も数字的に大成功させたのは、おそらく木村拓哉のみと思います。
同じパターンで成功するなら誰でもやり続けます。
王道というのはそうは持続させられないものなのです。
王道の主人公は、殺したり殺されたりしません。
いじめられてもくじけず再起するし、卑怯で悪どい手段はとりません。
そしてハッピーエンド。
ストーリーにあまり幅を持たせられないから飽きられてしまうのです。
視聴者が飽きる前に、俳優が同じパターンに飽きてしまうことのほうが多いかもしれません。
演ずることの醍醐味は時空を超えて全く違う他者の人格・人生を生きることだと思います。
拓哉くんも役の上でこんな経験をさせていただいてありがたいとよくおっしゃってますが、他の役者さんに比べて、自分の演じる人生の幅が意外に狭いことには、もしかしたら気が付いていたかもしれません。
水戸黄門タイプのお決まりのパターンがあるお話が好きな方もいますよね。
今やそういうドラマのほうが人気のようですが、でもそういう役はある程度、年齢や経験を経た俳優さんに振られるような気がします。
木村拓哉は20代から40代まで、王道のドラマをやってきているのです。
それに演技もわかりやすいものを求められます。
「抑えた演技」という言葉がほめ言葉で使われますが、王道路線は喜怒哀楽が豊かなキャラクターが向いているので、表現を抑える必要がほぼありませんし、当然アップ多用です。
「キムタク演技」と揶揄されてしまう原因はここら辺にあるように思えます。
飽きられる可能性もあることを承知で、制作者の方々は、成功パターンの持続を求め続け、木村拓哉は、魅力的なヒーロー像に生命を吹き込むために、全力で最大限応え続けてきた。
作品や演出のパターン化の批判をなぜか、彼一人が演技の批判としてかぶってしまった……というのが現状だと思います。
しかし、アイムホーム6話で仮面がはずれず、落胆し悲嘆にくれる久さんを、実際はUSJのバルコニーの手すりに寝そべって足上げてたアホアホな人が演じてるんですよ!
タマホームのCMと比べても全然違うじゃないですか!
「キムタクはキムタクしか演じられない」なんてどこの馬鹿が言っているのか。
「役と同化する力が唯一無二である」ため、本人自身と錯覚してしまうのです。
しかし木村拓哉にももうひとつの系譜があります。
原作があったり、作家性の強い脚本家や監督によって制作された、ストーリー本位の作品群です。
王道路線ではストーリーは主人公の魅力を引き出すことに主眼が置かれがちですが、ストーリーを重視する作品の中では、主人公といえども物語のひとつの駒に過ぎません。
作り手が死んだほうが劇的だと思えば死んでしまうし、やられっぱなしのこともあるし、物語を動かすためには人も殺すし、犯罪にも手を染めます。
必ずしも魅力的である必要も無く(でもゲスな役を魅力的に演じられたら最高の役者だと思う)観る人をハッピーにすることから解放された役です。
でも本当の二枚目な役、陰翳があり、クールでニヒルでかっこいい役もここには多く含まれていると思います。
ギフト、眠れる森、華麗なる一族、武士の一分、I Come with the Rain 、宮本武蔵などがそこに入りますし、ブラック久さんもホワイト久さんも王道キャラではない(ホワイトはともかくブラックは絶対ありえない)アイムホームもおそらくその系譜に入るでしょう。
安堂ロイドは、ロイドと黎士という二大ヒーロー物ですが、SF設定ですので、まずは世界観の創造が最も重要でした。
ストーリーとしては未完成な部分が多いので、映画化待ちです!=͟͟͞͞(๑•̀ㅁ•́ฅ✧
王道路線に入る部類と思うのですが、私はChangeがかなり好きです。
もしかしたら発想は「木村拓哉が総理大臣をやったら面白い!」ぐらいから始まったのかもしれませんが、なにせ総理大臣ですからね。
説得力を持たせるにはあまりにハードルが高くて、脚本もチャレンジだったのでしょう。
設定は練りに練った痕跡がうかがわれ、また政治は一人では動かせないので、脇役の方々の役割分担がされ、官僚は官僚らしくと、キャラクターもちゃんと際立っていました。
脇役がイキイキと動き出すと、物語もダイナミズムをもって動き出します。
主役を魅力的に描くだけでは話も平板になってしまうのです。
「悪目立ち」という言葉を使われた方がいらっしゃいましたが、どんなタイプの作品でも主役は目立たなければいけません。
観る人の視線を自分に集めなければいけません。
もし「悪目立ち」しているように見えたのなら、脇役に生命が吹き込まれていなくて物語が生きていないのです。
主役の演技のせいではないのです。
アイムホームも脇役への役割の振り方も上手いと思います。いっぺんに出さなくて家路との関係性で一人一人際立たせているのが、物語の終盤になって役に立つのだろうと思います。
「やり手の記憶喪失さん」とか、「とびっきり間の抜けた善人」とか、結構みんな毒舌なキャラが多いのも好みです。
私は主人公を褒め称えるセリフが頻繁に出てくるドラマが苦手なのですが、王道路線ではたまに出てきますね(^◇^;)
どちらの系譜のドラマが好きか。
とにかくいろんな顔を持っている人なので、好みのビジュアルにも左右されますよね。
私は長髪好きなのもあって、後者のほうに贔屓のドラマが多いですが(๑• . •๑)♡
おそらく拓哉くんの役者としての高いハードルを求める欲が、ロイドや武蔵、アイムホームのようなユニークな作品群を選ばせてきていると、私は考えているのですが、それなら王道派のほうもこれらに匹敵する魅力的な、簡単には先の読めないストーリーを用意すれば勝ち目はあります。
なので、HEROの映画の脚本には大いに期待をしたいところです。
「キムタクしかできない」どころか、プリズムのような七色の多面体であることがわかってきた木村拓哉。
アイムホームの後半戦でどれだけ、ブラックにもホワイトにも光を放ってくれるのか。
楽しみすぎて、ブログ2本分、7千字も書いちゃって、もう吐きそうなさとみちゃんでした!(இдஇ; )
さてさて、今回はいわゆる「キムタクドラマ」なるものについて、私の手に余るものかもしれないけど、異論反論があるのを十分承知でちょっとじゃなく、長々と触れてみたい。
でもそれぞれの人の思い入れのあるドラマを私の好き嫌いで判定するつもりは毛頭ありません。
どうして世間にこういう風に言われちゃうのか? ファンの認識とのギャップのところを考察してみました。
さてアイムホームです。
このドラマ、従来のキムタクドラマとはちょっと違う、キムタクの演技も一皮剥けたなどと識者と呼ばれる方々からもよく言われています。
これに対して、彼をずーっと見続けたファンの方々は反感を覚えているのが感じられます。
昔から繊細な演技だった! ここに来て急に上手くなったわけじゃない!
かくいう私もそのひとりですが。
どの作品も、その役そのものを生きているように演じているのに、ろくに見ないで上から目線で叩いてきた人たちがいかに多かったかには、確かに怒りを覚えます。
そう、木村拓哉の演技が変わったんじゃない。
ドラマのテイストが違う。
確かにこのアイムホームは肌触りが今までのドラマとは異質なんです。
(しかし異質といえば、圧倒的にロイドなんですが!(^_^;)
ロイドはSFやアクションに親しみ持てない人たちはほぼ寄りつかなかっただろうから、ひとまず置いておきます)
ふわっとしたドラマとか、ぬめっとしたドラマとか、ゾクゾクしたドラマとか、ドラマの感触ってあると思うんですが、
アイムホームの感触は、なんだろう?ぐにゃ?(^_^;)
ふわっとやさしいドラマに見せる仕掛けもあり、仮面をホラーではなくユーモラスに見せつつも、温かな感触を求めようとすると、ずぶっと腕がはまってしまい、冷や汗をかくという。
こういう感触はこれまで無かったような気がします。
しいて言えばギフトだけど、ギフトはやや硬質、ハードボイルド寄りな風味がありました。
(ああ~でもかっこよかったなあ…)
横道にそれました。
いわゆる「キムタクドラマ」を世の辛口と称する人たちは「キムタクをかっこよく見せるためのドラマ」などといい、ファンはそれに反感を覚えます。
しかし、それを「木村拓哉の魅力を最大限生かしたドラマ」と言い換えたらどうでしょう?
これ実は、表裏一体なんだと思います。
これが樹木希林さんがスマスマでおっしゃっていた「木村さんそのものが魅力的すぎるからPやDは…」のにも通じるものでもあると思います。
しかし拓哉くんが演じてきた役やストーリーは、「木村拓哉のためにお膳立てされたもの」というより、昔から、スターと呼ばれる人たちに用意されてきた、王道のものが多かったと思います。
型破りで愛嬌のある二枚目半、才能があり、ひたむきで正義感の強い熱血漢が努力を重ね、苦難を乗り越えて可能性を示し、人望も得て、恋愛も成就させる。
観る人を必ずハッピーにする、為せば成るといった王道パターン。
私、子どもの頃からたくさん見てきましたよ。
古今東西通じて、もっとも万人に愛されるキャラクターだと思います。
制作者の方々は、久々にスターの輝きを持つ俳優が出てきたと感じたから、さっそく王道路線を当てはめてみたわけです。(ラブジェネあたりが実験段階だったかも…?)
これ、実は、勘違いされていますが、誰しもにハマる役ではありません。
常に魅力的であることを求められるから、どんなにお膳立てをしても、本人に真の求心力がないと、キャラクターとのとギャップが見えて来てしまって、視聴者は冷めてしまうと思います。
そしてそれを演じる俳優さんは、精神的にきついはずです。
笑顔は常に太陽のようでなくてはいけない。
翳りや曇りが透けて見えてはダメなのです。
心からの涙や怒りだと感じられないとお茶の間を感動させられません。
熱演すると、いわゆるクサい演技になりがちなのも、こうしたドラマの難しいところです。
そして木村拓哉は、クサくならずナチュラルにこうした役にするっと入り込みました。
制作者の方々が想像した以上のハマりぶりであり、これぞ木村拓哉の当たり役、こういうドラマでのキムタクはほんとかっこいい!と日本中が思い込んだ。
そしてキムタクってかっこいい役ばかり…とネガティブに変化します。
はたしてそうなのでしょうか?
木村拓哉は本人がかっこいいです。というより、美しいです。
昔から、容姿端麗なビジュアルの俳優さんは、王道路線より、その美貌を生かした敵役やクールでニヒルな陰のある役につくことが多かったように思います。
そちらのほうがいわゆる二枚目路線です。
あまり笑わない、キメキメのすこぶるかっこいい役です。
古畑をやる前の田村正和さんは典型だと思います。
逆に王道路線は、そこまで容姿端麗ではない(失礼!)、でも愛嬌や武骨な大らかさを持つ、華のある俳優さんがやることが多かった。
異論はあるかもだけど具体的にお名前をあげると、リアルタイムで見てたのは中村雅俊さん、もーっとさかのぼると青春モノをやっていた頃の森田健作さん、もちろん見てないですけど、イメージから、映画の石原裕次郎さんあたりでしょうか。
小机部長役の西田敏行さんも主役のドラマや映画では王道路線であったと思います。
王道路線をやるにあたり、拓哉くんは、どちらかというと自身本来のかっこよさは封印していると思います。
ストレートな喜怒哀楽を前面に出した明るい役は、どちらかというと、かっこよさよりも親しみやすさを感じさせます。
でも「キムタク親しみやすくて魅力的!」より「キムタクかっこいい!」が言いやすいし、まあだいたい綺麗な女優さんと上手くいくパターンが多いから、かっこいい役ばっかりだと思われているのでしょう。
そして大事なのは、日本のテレビドラマでここまで王道パターンのドラマを何本も数字的に大成功させたのは、おそらく木村拓哉のみと思います。
同じパターンで成功するなら誰でもやり続けます。
王道というのはそうは持続させられないものなのです。
王道の主人公は、殺したり殺されたりしません。
いじめられてもくじけず再起するし、卑怯で悪どい手段はとりません。
そしてハッピーエンド。
ストーリーにあまり幅を持たせられないから飽きられてしまうのです。
視聴者が飽きる前に、俳優が同じパターンに飽きてしまうことのほうが多いかもしれません。
演ずることの醍醐味は時空を超えて全く違う他者の人格・人生を生きることだと思います。
拓哉くんも役の上でこんな経験をさせていただいてありがたいとよくおっしゃってますが、他の役者さんに比べて、自分の演じる人生の幅が意外に狭いことには、もしかしたら気が付いていたかもしれません。
水戸黄門タイプのお決まりのパターンがあるお話が好きな方もいますよね。
今やそういうドラマのほうが人気のようですが、でもそういう役はある程度、年齢や経験を経た俳優さんに振られるような気がします。
木村拓哉は20代から40代まで、王道のドラマをやってきているのです。
それに演技もわかりやすいものを求められます。
「抑えた演技」という言葉がほめ言葉で使われますが、王道路線は喜怒哀楽が豊かなキャラクターが向いているので、表現を抑える必要がほぼありませんし、当然アップ多用です。
「キムタク演技」と揶揄されてしまう原因はここら辺にあるように思えます。
飽きられる可能性もあることを承知で、制作者の方々は、成功パターンの持続を求め続け、木村拓哉は、魅力的なヒーロー像に生命を吹き込むために、全力で最大限応え続けてきた。
作品や演出のパターン化の批判をなぜか、彼一人が演技の批判としてかぶってしまった……というのが現状だと思います。
しかし、アイムホーム6話で仮面がはずれず、落胆し悲嘆にくれる久さんを、実際はUSJのバルコニーの手すりに寝そべって足上げてたアホアホな人が演じてるんですよ!
タマホームのCMと比べても全然違うじゃないですか!
「キムタクはキムタクしか演じられない」なんてどこの馬鹿が言っているのか。
「役と同化する力が唯一無二である」ため、本人自身と錯覚してしまうのです。
しかし木村拓哉にももうひとつの系譜があります。
原作があったり、作家性の強い脚本家や監督によって制作された、ストーリー本位の作品群です。
王道路線ではストーリーは主人公の魅力を引き出すことに主眼が置かれがちですが、ストーリーを重視する作品の中では、主人公といえども物語のひとつの駒に過ぎません。
作り手が死んだほうが劇的だと思えば死んでしまうし、やられっぱなしのこともあるし、物語を動かすためには人も殺すし、犯罪にも手を染めます。
必ずしも魅力的である必要も無く(でもゲスな役を魅力的に演じられたら最高の役者だと思う)観る人をハッピーにすることから解放された役です。
でも本当の二枚目な役、陰翳があり、クールでニヒルでかっこいい役もここには多く含まれていると思います。
ギフト、眠れる森、華麗なる一族、武士の一分、I Come with the Rain 、宮本武蔵などがそこに入りますし、ブラック久さんもホワイト久さんも王道キャラではない(ホワイトはともかくブラックは絶対ありえない)アイムホームもおそらくその系譜に入るでしょう。
安堂ロイドは、ロイドと黎士という二大ヒーロー物ですが、SF設定ですので、まずは世界観の創造が最も重要でした。
ストーリーとしては未完成な部分が多いので、映画化待ちです!=͟͟͞͞(๑•̀ㅁ•́ฅ✧
王道路線に入る部類と思うのですが、私はChangeがかなり好きです。
もしかしたら発想は「木村拓哉が総理大臣をやったら面白い!」ぐらいから始まったのかもしれませんが、なにせ総理大臣ですからね。
説得力を持たせるにはあまりにハードルが高くて、脚本もチャレンジだったのでしょう。
設定は練りに練った痕跡がうかがわれ、また政治は一人では動かせないので、脇役の方々の役割分担がされ、官僚は官僚らしくと、キャラクターもちゃんと際立っていました。
脇役がイキイキと動き出すと、物語もダイナミズムをもって動き出します。
主役を魅力的に描くだけでは話も平板になってしまうのです。
「悪目立ち」という言葉を使われた方がいらっしゃいましたが、どんなタイプの作品でも主役は目立たなければいけません。
観る人の視線を自分に集めなければいけません。
もし「悪目立ち」しているように見えたのなら、脇役に生命が吹き込まれていなくて物語が生きていないのです。
主役の演技のせいではないのです。
アイムホームも脇役への役割の振り方も上手いと思います。いっぺんに出さなくて家路との関係性で一人一人際立たせているのが、物語の終盤になって役に立つのだろうと思います。
「やり手の記憶喪失さん」とか、「とびっきり間の抜けた善人」とか、結構みんな毒舌なキャラが多いのも好みです。
私は主人公を褒め称えるセリフが頻繁に出てくるドラマが苦手なのですが、王道路線ではたまに出てきますね(^◇^;)
どちらの系譜のドラマが好きか。
とにかくいろんな顔を持っている人なので、好みのビジュアルにも左右されますよね。
私は長髪好きなのもあって、後者のほうに贔屓のドラマが多いですが(๑• . •๑)♡
おそらく拓哉くんの役者としての高いハードルを求める欲が、ロイドや武蔵、アイムホームのようなユニークな作品群を選ばせてきていると、私は考えているのですが、それなら王道派のほうもこれらに匹敵する魅力的な、簡単には先の読めないストーリーを用意すれば勝ち目はあります。
なので、HEROの映画の脚本には大いに期待をしたいところです。
「キムタクしかできない」どころか、プリズムのような七色の多面体であることがわかってきた木村拓哉。
アイムホームの後半戦でどれだけ、ブラックにもホワイトにも光を放ってくれるのか。
楽しみすぎて、ブログ2本分、7千字も書いちゃって、もう吐きそうなさとみちゃんでした!(இдஇ; )
コメント
王道でもそうでなくても、予想のできない魅力的な作品が観たいよね!アイムホームを足掛かりに製作陣も拓哉くんに、色々な役をやらせてみたいと思ってくれるといいよね。素敵な考察をありがとう!
要請もあったかもしれないけど、モノを作るのはテレビ局だものね。
そういう風に受け取られかねない作品を連発しちゃった責任もあるし、違うタイプの作品もあるのに、マスコミも悪意でどれもこれも同じと決め付けすぎてる。
存在感やオーラが並外れているせいで拓哉くんが俺様ぽく受け取られてしまうのはつらいね。
ほんとアイムホームが拓哉くんのミドルエイジのエポックメイキングな作品になるといいなあと思うよ。